2008年3月31日 (月)

「野中信行のページ」は、これで終わりです

  9時過ぎに学校へ行く。

 大雨である。雨具のズボンをはき、長靴をはいて歩き出す。雨男としては、まったく最適な日になったものである。

 今日は、3月31日。37年目の最後の日になる。退職の辞令をもらう日である。

 本校は、特別に職員を集合させる日を設けていない。

 出勤している職員に集合をかけて、校長先生から辞令をもらう。中田市長からの感謝状を読み上げてもらい、私の一言で終わりである。

 出勤されている先生方一人ひとりと写真撮影をして、学校を後にする。

 飼育小屋の鳥たちに「さようなら」と挨拶をし、通勤途中でいつも声をかけてもらう家へ挨拶をし、そして、いつも声をかけている銀杏の木に挨拶をする。

 これで全てが終わりである。

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 このブログも、今日で終わりである。

 2005年11月26日(土)に始めている。ちょうど2年と5ヶ月ぐらいである。

 考えてみれば、たいした年数ではない。

 今日で、ココロブのカウントは、147645アクセスである。

 私が予想していた以上に読んでいただいたことになる。

 現場で考え、現場で実践したことを率直に、ありのままに書いていくことをモットーに始めたものである。

 「よくあんなに率直に書けるものですね」と、言われたが、それでも半分も思ったことが書けていない。それは、現場人としての制約である。

 現場人としての発信を心がけるために、このブログの終わりも2008年3月31日と明示しておいた。

 それが今日である。

 さまざまに、「止めないで」コールをいただいた。ありがたいものである。

 そういうことを言っていただけるだけでも、このブログを続けてきた意味がある。

 だが、この「野中信行のページ」は、これで終わりである。

 現場を退くということは、そういうことである。

 みなさん、今までお読みいただき、ほんとうにありがとうございました。

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 さて、これからどうするのですかと問われた。

 仕事は、初任者担当の仕事である。辞令も出ている。

 2人の初任者を育てていく仕事である。

 だから、教育関係の仕事から全面的に足を洗うことにはならない。

 多分、65歳頃までこのような仕事を続けていくのであろう。(未来を問うことはできないのだが…。)

 だから、その間は細々とブログの名前を変えて、発信していこうと思っている。

 先日のブログで、「誰でもが役割を持って生まれてきている」と書いた。

 自分の役割意識を、やはり意識しなくてはならないと思う。

 子供の頃から今までをずっと反芻してみると、自分がどのような仕事をし、どのような振る舞いをしなくてはならないのかということがおぼろげに見えてくる。

 偶然に見えたさまざまなできごと、失敗、挫折、…それは自分の人生にとって必然であった、そのように思えてきたのである。

 しばらく、ブログは停止する。

 新たな気持ちで、新たなページで、新たなブログを発信していきたいと考えている。

 それはいつになるか、まだ未定である。(私の中に発信していく気持ちが出てこないならば、ご容赦願いたい)

 今までこれからのことを考えないで、現在だけを考え、走り続けてきた。やはり、しばらく休養する必要がある。

  ★

 谷川俊太郎の詩に「手紙」がある。

      手紙         谷川俊太郎

 電話のすぐあとで手紙が着いた/あなたは電話ではふざけていて

 手紙では生真面目だった/<サバンナに棲む鹿だったらよかったのに>

 唐突に手紙はそう結ばれていた

 

 あくる日の金曜日(気温三十一度C)/地下街の噴水のそばでぼくらは会った

 あなたは白いハンドバックをくるくる廻し/ぼくはチャップリンの真似をし

 それからふたりでピザを食べた/鹿のことは何ひとつ話さなかった

 手紙でしか言えないことがある/そして口をつぐむしかない問いかけも

 もし生き続けようと思ったら/星々と靴ずれのまじりあうこの世で

 

 

 私は、「口をつぐむことしかない問いかけも」「手紙でしか言えないことも」、このブログで盛んに書き散らしたのではないだろうか。

 そんな手紙をみなさんに送り続けたのかもしれない。

 私たちは、星々と靴ずれのまじりあうこの世で、ずっとずっと生き続けなければいけない。

 

  

 

 

 

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2008年3月29日 (土)

土浦殺傷事件が表しているもの

   19日から断続的に退職旅行を続けてきた。28日で、とりあえず終わりである。

 よく飲み、よくしゃべくり、そしてさまざまなものを見て回った。

 その間にも、世間を騒がすニュースが起きていた。

 土浦8人死傷事件は、多くの人を震撼させる事件であった。しかし、「またかよ」という反応ではなかっただろうか。

 この種の犯罪は、これまでも起こってきたし、これからも断続的に起こってくる。

 それは、この種の犯罪は、氷山の一角として現れてくるもので、この裾野は、ものすごいものだろうと私は予想している。

 この犯人金川真大(24)は、ニートでひきこもりであったが、何故か携帯電話は2つ所有していた。

 一つの携帯からもう一つの携帯に「おれが神だ」「おれがやることがすべてだ」などと書いたメールを送っていた。

 このゲイマーは、もう狂っていたとしか思えないであろう。

 しかし、この狂い方が問題である。

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 イラクやアフガニスタンへ送られるアメリカ海兵隊は、ただそのまま戦場へ送ることは出来ない。

 人間は、そのままでは人を殺すことはできない。

 そのように人間はできていないということらしい。

 だから、アメリカ海兵隊は、戦場へ送る前に特別な訓練を施す。

 「人を殺す」訓練である。

 こんな事例をわざわざ持ち出すのは、これと同じ事を犯人金川が行っていたと私は考えているからである。

 そう、「人を殺す」訓練である。

 彼は、ゲイマーとしてその訓練をしていたのである。

 ただ、最初から人を殺すための訓練をしていたというわけではない。

 ゲームにのめり込んでいくうちに、狂っていったのである。

 犯行時、金川は、刀で敵を次々と切り倒すゲームを携帯していたという。

 まさに象徴的である。

  人を平気で殺すゲームなどそこらに転がっている。野放し状態である。

 そういうゲームにのめりこんでいる子供達は、ごまんといる。

 もちろん、これらがみな金川みたいになっていくわけではない。

 しかし、このなかの何人かが金川みたいになっていく。スイッチが入った状態になるからである。

  はやく親達は、このことに気付いていかなくてはならない。

 

 

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2008年3月26日 (水)

桜は五分咲きです

  壱岐旅行に行っている間に、こちらの桜は開花し、もう五分咲きの状態であった。

 散歩しながら、びっくり。なんとまあ、早いものである。

 もうあの卒業式から1週間も経過している。

 みなさんからさまざまに退職祝いのメール、プレゼントをいただいている。ありがとうございます。

 野口芳宏先生からは、私の退職祝いがFAXで届けられた。壱岐旅行中に、学校から私の家へ転送されてきた。

 私のようなものにも、このようにして野口先生は送られてくるのである。ありがたいものである。

 娘からも、退職祝いにスーツのプレゼントがあった。

 メッセージが添えられている。

「“ふつうのはたらき人”であることにこだわり続けたお父さんの仕事に対する考え方、スゴクかっこいい。いったん、おつかれさま。でも…大仕事はこれからかもね」

 ★

 娘が言うように、人生の大仕事が残っている。

 私は、その大仕事に挑まなくてはならないのだと、自分で自分に言い聞かせる。

 

 

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二泊三日の壱岐旅行であった

  壱岐へ旅行に行ってきた。二泊三日の旅である。

 旅行仲間の3人と今回も一緒である。

 今回の目的の一つは、壱岐に在住している大学時代の友人に会うことであった。

 共に、今回退職することになっていて、37年ぶりにぜひとも一目会っておきたいと思っていた。

 博多港からジェットフォイルで1時間ばかり。雨の芦辺港に、友人夫婦は、待っていてくれた。

 アキレス腱を切って、松葉杖という痛々しい姿であったが、大学時代の精悍な姿はそのまま健在であった。

 昼食を食べながら、さまざまな話をした。

 話の内容は、驚くことばかりのことであった。

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 壱岐は、学級崩壊などの状況とはまったく無縁であること。

 地域、家庭、学校の三者がしっかりと繋がっていて、豊饒な教育がなされていた。

 一時、中学校が少し荒れていたとき、父親達が登場してきて、その荒れを克服していったこと。

 24日、壱岐の中心部郷ノ浦で、修了式を終えて、家へ帰る子供達の姿を目にしていた。

 30年前に目にしていた子供達の姿と重なり合うような、そんな感じを受けていた。

 子供の一人は、見知らぬ私たちに「こんにちは」と挨拶を交わした。

 30年前、都会でも確かにこんな子供達がいて、地域も、家庭も、そして学校も、繋がりあっていた。

 あれから30年間、一体何があったのであろうか。

 壱岐は、そんな都会の荒廃とはほとんど無縁に営々と豊饒な教育を作り上げて来たのである。

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 もう一つの驚きは、住民の人たちの対応であった。

 さまざまなことを問いかけると、その一つ一つに丁寧な反応が返ってきた。

 行き先をたずねると、出発地点まで案内してくれた。

 話しかけると気軽にさまざまなことに答えてくれた。

 これは、見知らぬ人には親切にしていこうという心得を越えていた。

 壱岐の住民性そのものであるのだと思えた。

 きっと昔の日本人が共通に持っていた国民性が、こんなものだったのではないか。

 都会に住んでいる私たちがとっくに失っている何かであった。

 旅行仲間達は、一様にこのことに驚いたのである。

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 原の辻遺跡を見た。一度、見てみたい遺跡であった。

 この遺跡は、魏志倭人伝に記載された「一支国」である。

 かつて私は、6年生の社会科で、邪馬台国探しを何度もしたことがある。

 魏志倭人伝を読み解きながら、邪馬台国がどこにあったのかを子供達なりに推理していく授業である。

 「対馬國より千里余り、かん海と呼ばれる海を渡ると一支國に至る。大官をヒクといい、副官をひなもりという」

 なつかしい記載である。

 弥生時代の大規模環濠集落が、ここにあり、発掘作業はまだ始まったばかりである。

 出土品により、大ニュースを期待したい。

 

 

 

 

  

 

 

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2008年3月22日 (土)

人間は、役割を持って生まれてくる

  21日の小中連携会議で、私の全ての仕事が終わった。

 あとは、31日に辞令を取りに行くだけである。

 全国の方々から退職祝いのメールや花束をいただいた。私の家は、いま花に包まれて華やかである。

 昨日の朝早く、教え子のお父さんが、退職祝いに赤飯を炊いたと持ってみえた。

 生まれて初めてこんな上手い赤飯を食べたような感じであった。

 つくづく私は幸せ者であると思う。

 まだまだ退職するという実感が伴わないが、それも徐々に感じてくるのであろう。

 私の部屋は、大変な状態である。段ボールが積み重ねられ、書類や手紙が散乱し、……これを今日中に片付けなければいけない。

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 私の退職後の仕事を報告しておかなくてはいけない。

 まだ内定の段階なので、くわしくは言えないのだが、初任研担当の仕事につくことになっている。

 週に、2.5日(2人の初任者に一日ずつ教室にはりつき、あとの半日は教材研究の時間である)の出勤である。

 今まで外から初任者を見て、さまざまなことを言ってきたのであるが、今度は内側から見て、さまざまなことが言える。

 今まで見えなかったことが見えるに違いない。

 月に20時間の仕事である。ずいぶん楽になったものである。

 私の中で、バランスが崩れたところを回復していくにはもってこいの時間かもしれない。

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 春先の冷え込みを余寒と言い、対になる言葉が残暑で、「余熱」とも言った。

 その言葉を中国では、年配者がもう一頑張りする意味でも使うと朝日の天声人語氏は教えている。

 「余熱を発揮する」と言えば、冷めない情熱を世の役に立てることらしい。

 また、天声人語氏は、人生の達人だった河合隼雄さんの言葉を引用している。

 河合さんは、「年齢を括弧に入れる」ことを勧めていた。「年齢を忘れる」のではない。年齢を自覚しつつ、それはそれとして何かに挑んでいく。しゃかりきになるより、豊かで味わい深い、と。

 うまいことを言うものである。

 私は、人間は「役割」を持って生まれてきていると考えている。

 どんな人間も、この「役割」がある。

 広い宇宙の、小さい地球の、そのまた小さな日本の、…中で、奇跡的に存在する私たち人間は、みな「役割」を持って生まれてきている。

 「自分の才能をどのように見つけたらいいか」「自分の個性を発揮するためにはどうしたらいいか」そして、「自分探しをする」。

 こういう考え方は、早晩行き詰まる。自分のことしか考えていないからである。

 自分には、どんな役割があるんだろうか、と考えられるところから、自分の人生をほんとうに生きることになる。

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 森信三先生は、「一語千鈞」の中で、次のようなことを書かれている。

「人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといっていい。退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって、晩年の人生と取り組まねばならぬ」

 厳しい言葉である。

 人は、ほとんどがまったく逆のことを考える中で、森先生だけは、ほんとうのことを言っている。

 人は、思っていても、ほんとうの厳しいことはなかなか言葉に出さないものである。

 

 

 

  

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2008年3月20日 (木)

元気な老人になります

  さきほど家に帰り着いた。

 卒業旅行からの帰りである。

 卒業式が終わって、湯河原の温泉宿で、一晩語り合う会である。

 恒例になっている。今年は、19名の大集団になった。

 校長先生と私が退職だからということで、皆さん集まってくれたのだと思う。

 温泉につかり、カラオケをし、そして深夜まで語り明かした。

 楽しかった。こんな先生達と一緒に大池小の教育を創り上げてきたんだという喜びを感じた。

 ★

 卒業式は、子供達全員がせいいっぱいの力を出し切ったものになった。

 全校の子供達の参加である。

 呼びかけの言葉の中に、群読「生きる」(谷川俊太郎)を入れるという新しい試みは、成功であったと思う。

 1年生から6年生までの全員が参加するのである。

 とても迫力ある群読になったのである。

 1時間15分。低学年もりっぱに卒業式に参加し、きちんとした役割を果たしてくれたのである。

 私にとって、37回目の卒業式を、6年生の担任として終えることができた。

 ほとんどの女の子達が泣き出し、その泣き顔のままで写真を撮った。

 しかし、私は、まだまだ37年間が終わったのだという実感が湧かない。

 ★

 卒業式の終わった後に、クラスの子供達と保護者の方々が、簡単に私の退職祝いをしてくれた。

 2人の子供が作文を読んだ。

 「野中信行先生、明るく、優しくて、きびしい先生、勉強だけでなく、色々な事を教えてくれました。たまにさむいギャクを言ってみんなを笑わせてくれましたね。先生の笑った顔が大好きです。先生の生徒で本当に良かったです。ありがとうございました。いつまでもお元気でいてください」

 色紙と、記念品、子供達が密かにおってくれた千羽鶴を渡された。

 嬉しかった。

 「元気な老人になります!」

と、一言だけ。

 ★

 ずっと不登校になっていた子が、保護者と一緒に保護者席で参加していた。

 卒業生を見送った後に、急きょ、卒業証書授与式を行うことになった。

 先生達全員が、先生席につき、校長と介添えが檀上にあがり、2組の先生が呼名して、その子は、きちんと証書を貰ったのである。

 学校が取った精一杯の配慮であった。

 その子の未来が、動き出していくことを願うばかりである。

 

 

 

 

 

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2008年3月18日 (火)

 青春しろよ

 明日が卒業式になった。

 さすがに子供達に、「卒業するんだ」という実感がでてきた。

 卒業アルバムを子供達に配ったら、早速コメント書きが始まった。

 卒業アルバムをお互いに交換して、コメントを書き合うのである。

 そのうちに、1組、2組が入り乱れて、コメント書きである。

 私のところへも、「先生、コメントを書いてください」と来る。

 「よし、よし」と言いながら、「青春しろよ」と簡単に書く。

 「先生、青春って何ですか」と言う。

 若者達にとって、「青春」という言葉は、すでに死語になっているのである。

 「青春とは、恋をしたり、砂浜を走って、夕日に向かって『ばかやろう』って言ったりするやつだよ」と言うと、

 「ふうん、僕、そういうのできないと思う」と、真面目な顔をして答えた男の子がいた。

 切ない気持ちになる。

 ★ 

 午後、二人の卒業生が手紙と花束を持って訪ねてきてくれた。

 手紙には、

 「先生のおかげで、百人一首も好きになり、今でも大好きで、たまにやったりします。先生のおもしろい話、怖い話をしてくれた事など、先生の思い出はとても大事な思い出です。先生が担任になってくれて本当に良かったです。……」

 と書かれてあった。ほんとうに教師をやって、よかったと思う。

 がらんとなった教室で、残りの石油をストーブで焚く。

 もう何にも残っていない。

 明日、この教室で、子供達に「中学校でがんばれよ」と笑って別れを言うのだと思う。

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2008年3月16日 (日)

業務連絡です

   「3・7・30の法則」の具体的展開の資料を申し込まれる方が、殺到しております。ありがとうございます。

 この資料は、コピーを取られて、周りの方へ配付されたり、新卒教師の方へ配付されたりしても構いません。

 どのようにもお使い下さい。

 申し込まれた方で、添付資料が開けない方から連絡がありました。

 これは、一太郎ですので、それが開けない方は、その旨言ってください。

 また別のもの(改訂前のもの・これは一太郎版ではありません)を送ることが出来ます。

 それでも送れない場合は、手紙形式で送ります。

 開けない場合は、ぜひともまた連絡下さい。

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新任教師に配付

  先日、庭野三省先生の日本教育新聞の書評を書いた。

 その書評のおかげか、実際に行政の動きがあった。

 愛知県小牧市の教育委員会が、4月に赴任する新任教師に、3月中に私の著書「新卒教師時代を生き抜く心得術60」(明治図書)を配付するということになったらしい。

 教育長直々の指示ということである。

 小牧市在住の先生から連絡があった。

 とてもうれしい連絡であった。

 この小牧市で、「NPO法人 元気な学校を支援し創る会」主催の講演会を行うことになった。

 日時 5月17日(土) 13:00~15:00

 場所 小牧中学校多目的ホール

 会費 3000円(1回だけ参加)

 申し込み ℡ 052-759-1624  FAX 052-759-1629

        「教師力アップセミナー」受付 大西先生

 近くにおられる先生方、ぜひお越し下さい。よろしくお願いします。

 

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2008年3月15日 (土)

「3・7・30の法則」の具体的な展開

  私が提唱している「3・7・30の法則」がある。

 クラスを受け持って1ヶ月をどのように過ごしていくかの法則である。

 その法則を具体的にどのように展開していくかについてまとめたものがある。

 昨年度から希望される方に添付資料で送っている。(一太郎の添付資料)

 今年も、平成18年度の資料を一部手直しして、改訂版を作った。

 これが最後の私の実践になる。

 希望される方は、メールを下さい。

 ただし、昨年もらわれた方は、遠慮していただきたい。(200人ばかりの方に送るのは大変であった)

 一部の改訂だけでほとんど同じである。

 メール kazenifukarete@hkg.odn.ne.jp

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«一つの別れ。また、新しい出発